« ダイコンざんまい | トップページ | ダンス舞台公演 »

2008.12.19

『風のガーデン』に思う

風のガーデンの最終回を見た。

死の風景が散らばっていた。貞美の生前葬と死そのもの、終末医療に取り組む父、そして死を目前にした演じる緒形拳。すごさを感じた。

この死の背景として。おどろおどろしい色の花、自然界にはありえない様なコントラストで描き出した花の色。怖さを覚える色。

ひとつ気になったのが、岳の描き方だ。なぜ父の死を前にして、隔離してしまったのか、倉本聰という人間に嫌気が差した。二度死ぬところを見せたくないという理由らしい。人間として最も荘厳な場面から追い出してしまった。対峙すべきではないのか。障害者に対する思いやりとでも思っているのだろうか。

|

« ダイコンざんまい | トップページ | ダンス舞台公演 »

コメント

テレビっていろんな表現の仕方がありますよね。
特に障害や人権にかかわるようなことを題材にしたものは問題が多いように感じます。
でも、そういうことを取り上げてドラマ化してくれるということは、そういうことがあるということを広く一般に認知してくれるツールとしては大変意義のあることだと思います。
表現のまずさ<障害の広報
であればいいのではないか、と言うぐらいの気持ちでテレビを見ています。

投稿: Angel RISA | 2008.12.19 07:14

障害者という観点での私の思いではありません。障害者をどう伝えるかとうことでの意見ではありません。

今の風潮は、子供には、安易に、危ないものは持たせないとか、醜いものを見せないんどとするあまり、事実を知らないこと子供もが多くなってきています。

人は死ぬものだと私らが子供のころは、しっかりと子供にも見せていました。人は死んだらどうなるのか、冷たくなって、硬くなって、二度と生き返ることはないのだということを教えてくれた。

ゲームの中でしか人の死を知らない子供たちは、甦る、人生をリセットする、なんてことが当たり前だと思い始めてる。

小刀を今の親は子供に持たせない、危ないという理由から。小刀でいろんなものを切ったり削ったりすることで、対象物で力の入れ具合が違うことを身で覚える。自分の指を切ってしまう、そんななかから、小型の道具としての便利さと怖さを知っていく。今の子達は刃物を人に向けたときの結果を知らなさ過ぎる。

伝えるべきこと、知っているべきことを避けるような現代社会の一面を見てしまったことからの意見です。たまたま障害者だったということです。

投稿: 大介パパ | 2008.12.23 23:54

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/77196/43461989

この記事へのトラックバック一覧です: 『風のガーデン』に思う:

« ダイコンざんまい | トップページ | ダンス舞台公演 »