ユニバーサルデザイン

2007.09.06

大介、足を挫く

大介が足首をくじいたらしい。両足で立ち上がれなくなった。ダンスも1回休むことになった。右足の甲の右脇が腫れていて、触ると痛いと顔をしかめる。大介の部屋は2階なので、階段が大変だ。殆どはいはいの形で上り下りをしている。1階で過ごせばいいのにと思っても、自分は部屋は2階だと思っている。プラレールやらビデオやらWiiなんかが2階でするようになっているから2階からは離れまい。

2階は仙台市内であちこちでおこなわれる花火が半分くらいは見える。みのじさん宅からの眺望はに負けますがね。大介は花火大好き人間なので、2階から花火を見るのは大介の夏恒例の大イベントだ。大曲の花火大会は3年ほど連続して見に行ったので、また行こうまた行こうと毎年時期が来るとせがむ。最近はNHKのハイビジョンなどにしてもらっているが、やはり生の花火が見たいようである。

確かに、大曲の花火大会をみたら、これに匹敵する花火大会は日本にはないかもしれないと思う。そもそも大曲の花火大会は、見せる相手は、全国の花火大会イベント関係者である。花火師が自分の技を競う大会だ。ここで成功すると、その後、日本各地の花火大会からお呼びがかかることになる。というわけで、大きな花火が惜しみなく上げられる。圧巻は大会提供花火だ、連続100連発がすごい。これをみたらまた見に行きたくなる。

ところが、親にとっては大変なのだ。トイレの長蛇の列は当たり前、携帯電話は通じない(75万人も集まるので圏内アンテナが立つ暇がない)、21時30分に大会は終了するが、自動車、バスが大曲市内(今は大仙市)から一斉に出て行くわけだから、町を出て行くには夜2時過ぎないとまともには動きださない。バスで寝て早朝6時ころ仙台に着くバスだが、バスのリクライニングでは、体痛いし、眠いし、到着するとその日1日は使い物にならない。で、我が家では親の体力に限界が来て最近は行かなくなってしまった。

そう、ここでも、親の都合で、子供が制約されてしまうことになる。障害者自身の都合より親の都合で、こんなことおきてしまう。しきりに反省。

実は9月7日にデズニーランド行きを母親と大介が予約していた。だけど足の怪我でキャンセルしてしまった。台風でどうだったかは定かではないが。大介は母親が購入してきたガイドブックを独り占めして2週間も前から楽しみにしていた。今でも2階の自分のベッドにはその本が置いてある。

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2007.08.25

障害者用プールその後

助成金が減額されていた幸町ウェルフェア温水プールが、従来どおりの助成が行われることになった。予想以上の市民からの反響に驚いてか、今年の助成金も元に戻すことになった。来年からは従来の助成が行われるようになった。一旦短くなった運営時間ももとにもどりそう。まずは一安心。

就任以来、梅原市長は、自分色を出そうといろんなことをやるが、結構あちこちで顰蹙をかっている。何か新しいことをやるなら、一定の説明を広く市民に行い、順序を経て実施すればよいものを一人突っ走っている。、どのような方向になぜいくのか、だからこれを減らし、あっちを増やすという説明が殆どない。

福祉先進の都市だった仙台市が、どうなるのだろう、これからは。梅原市長さんよ。

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2007.06.04

とっておきの音楽祭当日

今年の「とっておきの音楽祭」は7回目、市内のあちこちの街角に26箇所のステージをこしらえました。それぞれのステージで、10時から17時頃までに、約10団体が思いおもいのパフォーマンスをしました。ジャズ、ハワイアン、民謡、ゴスペラ、ダンス、すずめ踊り、手話コーラス、手踊り、楽器もあり、歌もあり。作詞だけでも、作曲だけでも参加できます。フリマーも、授産施設の販売もありました。全てを見て回れないので(26箇所で同じ時間帯ですから)一部しか見てません。

私が見たのは

  • 大介の所属する みやぎダンス のオープンクラス
  • 0~5歳のダウン症児(カメさんとこのアイちゃん)が参加した「童夢」(ドーム)
  • 大介の母親の津軽三味線の「岡崎秀明と津軽手踊りダンシングチーム」
  • 耳の聞えない人たちの手話コーラス「風のメッセージ」

です。許可がいただければ写真も載せたいと思います。

「童夢」は0歳から5歳児までのダウン症児とその親と兄弟がでて、ミッキーマウスの衣装で「可愛いダンス」、「一人ひとりの可愛いポーズ」、「薄いカラーの布とシャボン玉の遊び」を見せてくれました。全員がミッキーの扮装で(耳のキャップ、ピンクと青のスカート、指を軍手で表現し)。これは是非写真を見せたい。ずーっと抱っこの子、一人で踊れる子、はいはいで勝手に動き回る子、それを追い掛け回す親、見ていて、かわいいパフォーマンスを見せてくれました。どちらかというと、親が結構楽しんでいました。子供をダシにして親のステージか?と思われそうな楽しいひと時でした。

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2007.06.03

映画「オハイエ!」

映画「オハイエ!」を見てきた。
とっておきの音楽祭の参加者、スタッフが、このお祭りにどう係わっているのかをあますことなく見せてくれる映画だ。

luluは、脳性まひで立ち上がることも、楽器を演奏することもできなかった。そのluluが音楽で自分を表現したいと思った。最初の音楽祭では座ったままでの演奏だった。あるとき突如感極まって演奏しながら立ち上がった。またあるときは、演奏の合間にダンスを始めた。7年間のとっておきの音楽祭の中で起きた奇跡だ。今やシンガーソングライターとして音楽活動をし、堂々とステージに立つまでにいたっている。ダウン症の荒川知子さんのリコーダーの音色はすごい、澄み切って、心の奥深くまで染みわたる。音楽一家で、父、母、兄と共にプロとしても演奏活動もしている。雅楽の笙の奏者、YUUくんはウイリアムズ症候群だ。珍しい楽器の笙を奏でる。仙台フィルハーモニーの楽団員と一緒に演奏したりもしている。夢は東儀秀樹さんとの演奏することと言う。

耳の聞こえない人たちのコーラスグループがある。手話のコーラスだ。手話で確かに音楽を表現している。このメンバーの中に柿原さんがいる。2年前の24時間テレビで、耳の聞こえない人が歌に挑戦し、その歌を披露した人だ。実は彼女は3年前、みやぎダンスの第2回作品「心の影、光のかけら」に出演してダンスパフォーマンスをしている。その後のみやぎダンスの公演時の影アナ(公演開始時に注意事項などをアナウンスすること)の手話で説明する役もかってでて頂いている。耳の聞こえない人が、今まで無理だといわれてきた領域で、活躍している人だ。

この音楽祭には、詩でも参加できる。詩をつくり送って頂き、それをスタッフ側で作曲して演奏してくれるコーナーも用意されている。90歳を越える人も参加する。和太鼓も、ゴスペラーズも、コンテンポラリーダンスも、スズメ踊りも、津軽三味線、手踊り、音楽で表現できるあらゆるもので参加する音楽祭だ。

ついつい涙してしまったところがたくさんある映画だ。障害者であること、年寄りであること、乳児であること、外国人であること、そんなことは、音楽を表現するには、全く関係ない。そんな強いメッセージをこめた音楽祭だ。参加している人が思いっきり表現している姿、それを市民が楽しんでいる姿、この行事を支えることが嬉しいんだという(それを楽しんでいる)スタッフの姿、みんな一緒に作ったお祭りだ。その感動を見事に一つの映画に凝縮してくれた。

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2007.05.28

とっておきの音楽祭

6月3日はとっておきの楽祭だ。2001年から仙台市で毎年開催されているストリート音楽祭だ。いまや、仙台市だけでなく、宮城県各地で開かれるようになったし、山形市、盛岡市、秋田市、会津若松市でも開催された。今年は横浜市でも開催が決定した。誰でも手を挙げれば出演できる音楽祭、障害者も、健常者も、誰でも参加できる音楽祭だ。

みやぎダンスは毎年出ていて、大介の参加するみやぎダンスのオープンクラスが踊ります。今年は、ヒロミのミのじさんが主宰する「抱っこ子の会」(小さいダウン症児が中心メンバーの会)からも、「おちびちゃん」が出ます。例によって、私の連れ合いも、ナマ津軽三味線付きの「津軽じょんがら」で踊ります。まわりの人が沢山でる、お祭りになってきました。楽しみです。私はカメラマンに徹します。

仙台市のストリート沿いに、何箇所もスポットがあり、1チーム20分の時間で、思い思いのパフォーマンスをする市民が作る音楽祭です。

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2007.03.26

ONE+LOVE WORLDを見て

 3月25日(日)仙台から代々木まで田舎もんが出かけてきました。天気予報は最悪、中止になるかもしれないという状況の中、祈るような思いで新幹線に乗りましたが上野近辺でもまだ雨が上がっていませんでした。それに加えて、石川県の方で大地震があったののことで東京、上野駅あたりが新幹線も渋滞していました。JR有楽町まで行き、地下鉄千代田線日比谷駅に乗り換え代々木公園に着いたときやっと雨が上がっていました。大介も新幹線に乗れると思い文句も言わずに嬉々としてついてきてくれました。

P3250012  開催に先立ち、ニューヨーク「米国法人野口英世記念財団」からこような活動に対して表彰状が送られるセレモニーがありました。スタートは牧野アンナさんの開会挨拶で始まり続いてLOVE JUNXのダンスでスタートしました。第1部、第2部は、出演団体のそれぞれのパフォーマンスが披露されました。神風、EGU-SPLOSION、PaniCrew、無名の心、DA PUMP、ソカフリカンユニット、LOVE JUNX Kids。全体がヒップホップ、ブレークダンスを中心にしていたのに対して、ソカフリカンユニットはアフリカンダンス+ソカ(カリブ海トリニダードトバコのお祭りの歌らしい)のとてもセクシーなダンスを見せてくれた。とても動きの激しいダンスではじめて見た。無名の心、これは一風変わったブレークダンスで、2人組み。間の取り方、動きの流れ方、それらが、テンポが今までのものとは違った新鮮味のあるダンスだった。DA PUMPはダンス+歌で会場を魅了していた。特に、会場を訪れた一般のお客さんからも盛んに声援が届いていた。

LOVE JUNXからたしか3チームが参加していた。キッズだけのチームも名前はわからないが「ちびすけ」が見事にブレークしていた。それから男4人と女4人のチームもあり、それぞれに楽しく踊り、観客からも声援、応援が飛んでいた。飛びぬけてうまい子、それを追いかけるようにうまい子、更にそれに続く子供たち、少しづつ皆がステップが上がっている様を見せてくれていた。

 第3部が、エキゼビションバトル?みたいな呼び方をしていたが、神風、PaniCrew、DA PUMP、LOVE JUNXなどが2手に分かれて、ダンス合戦をする。Aグループが踊り、さあどうだといわんばかりに。Aが終わるとそれに対抗してBグループがダンスで相手にこれみよがしに対抗意識丸出しで踊りかかる。それが終わると更に今度はAが挑む、これを延々と繰り返す。ここではインクルーシブが見えた。ひとつのグループはLOVE JUNXメンバーと健常者の混合チームだ。即興ダンスだ。何を踊るか予め用意はされていない、まさに、即興のダンス合戦である。みやぎダンスでもそうだが、障がい者は即興性においては、健常者に負けていない、むしろ即興芸術性は凄い。

P3250010_1  全体を通じて感じたこと。障害者がもつ能力は健常者のそれに引けを取らない。運動性だけでなく、高いの芸術性すら持っている。それは、健常者が今まで築いてきた芸術という概念を飛び越えた新しい芸術性だ。牧野アンナさんの言葉を借りれば「NE+LOVE WORLD」のミッションは、健常者のみなさんにも、ダウン症の子は健常者に劣らぬ能力のあることを知ってもらうことだと思った。更に私が望むのは、ダウン症をはじめとする障がい者の親が、もっと我が子の能力を知って欲しいということだ。今回参加していた親たちが盛んに、凄い!、素晴らしい!、何だってできるんだ!と盛んに褒めて拍手を送っていた。これもこのイベントの大きな成果と思った。親は意外と過小評価して、こなことうちの子にはできないよ、あの子は特別なんだよ、と思っていることが多い。これは、子供の能力をつぶしていることになるんだということを、もっと多くの障害者の親に知ってもらいたいと再度思った次第でした。

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2007.03.15

告知「世界ダウン症の日」開催

大阪、東京で、世界ダウン症の日「ONE+LOVE WORLD vol.2」 が開催されます。
【大阪 3月21日 12時~16時】
【東京 3月25日 12時~16時】 
 

ダウン症児者達と歌やダンスを通して実際に触れ合って誤解や偏見や壁をなくしたいと言う気持ちで開催します。


世界ダウン症の日「ONE+LOVE WORLD vol.2」

※全出演者、イベント趣旨に賛同してくれたボランティア出演です。リスペクト
かなり豪華な出演者陣です!!!!


両会場観覧無料(万博公園への入場料は250円必要です)

【大阪 3月21日 12時~16時】
@万博公園お祭り広場
■LIVE
PaniCrew
RSP
Lead

■GUEST DANCE SHOW
LOVE JUNX
D'OAM CREW
プリンケツプリンケツ
神風(From東京)
LOOSE SHUFFLE
パワフルエンジェル

■EXHIBITION BATTLE
PaniCrew+Lead vs LOVE JUNX+神風+琉球の風なの?
South Jam Session vs AIR REAL+C4+TREFOIL

【東京 3月25日 12時~16時】 
@代々木公園野外ステージ
■LIVE
PaniCrew
DA PUMP

■GUEST DANCE SHOW
LOVE JUNX
神風
無名の心
EGU-SPLOSION
ソカフリカンユニット

■EXHIBITION BATTLE
PaniCrew+DA PUMP vs LOVE JUNX+神風+琉球の風なの?

↓↓ 詳細 ↓↓ 

ONE+LOVE WORLD公式ホームページ 

知らないという事が誤解や偏見を招く。
だから知ってもらいたい!
みんなイキイキと自分の夢に向かって一生懸命がんばってる。その姿はとても輝いていて、きっと来てくれた人たちの胸に何かを残すはずです!
素晴らしい才能を持った子がいっぱい!!!
実際に足を運んで観てもらいたいと思ってます。

健常者とか障害者とか、そんなくだらない壁なんかぶっこわしてみんなで一緒に盛り上がりましょう!

宜しくお願いします

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2007.03.06

インクルーシブアートの日その2

【鼎談】では、第1のハードル、第2のハードルについて3人で話が始まる。

第1のハードルを克服するということが、このIANS-netの目的である。また、先日開催されたアクセツアーツフォーラムでも、障害者を含んだ活動をしている全国の106団体が紹介されている冊子を発行した。誰でも気軽に参加できる「とっておきの音楽祭」が日本全国の各地で開催されるようになってきた。これらは同じ目的の活動であり、誰でもが自分にあった好きなアートを簡単に見けられて、楽しみたいという思いを実現する活動である。このように第1のハードルの克服する活動が芽吹き始めている。

第二のハードルは持続的にアートを創造し続ける環境を整えることです。というのは、第1のハードルを越え始めると、質の高いアートがでてくるようになりますが、質の高いアートを継続的に生み出し続けること(即ちアーティストを育成すること)が、なかなか困難です。しかしこれを国がバックアップする体制をEU諸国ではすでに実現しているのです(八巻さんの基調報告)。日本ではこれがありません。

でも、国レベルでないのですが、稲垣さんの活動報告には、NPO法人オハイエ・プロダクツが、音楽アーティストを育て・支援する体制ができ始めていて、何人かのプロを送り出している事が紹介されていました。また、定行さんの報告では、NPO法人みやぎダンスでは、カンパニークラスを昨年から創設し、質の高いダンス・パフォーマンス・アートを継続的に生み出す活動を始めました。これらの活動がインクルーシブであること、障害者を含めた活動であることを強調していました。まさにインクルーシブ・アートの可能性を広げ始めてきた証拠でもあります。

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インクルーシブアートの日

午前中は、「音楽を楽しむ」、「ダンスを楽しむ」という2つのインクルーシブな体験ワークショップがあり、午後からは(財)仙台市市民文化事業団10-BOX工房長の八巻寿文氏、とっておきの音楽祭SENDAI実行委員長の稲垣達也氏、NPO法人みやぎダンスの理事長の定行俊彰氏による1人20分程度の基調講演、それを受けて3人の鼎談、最後に参加者を巻き込んだディスカッションという内容ですすみました。

冒頭の説明。インクルーシブな活動をしている2つの団体、NPO法人オハイエ・プロダクツとNPO法人みやぎダンスが責任団体として、財団法人仙台市市民文化事業団が共催の形で活動を支援していただき、松下電器産業の助成もあり、IANS -netを作ることにした。IANSとは、Inclusive Art NPO Sendaiの頭文字をとったもので、緩やかに結びついたNPO団体の連合体といったものである。その目的は、インクルーシブな活動を行っている日本全国の団体の中から自分にあった団体を探し出すことのできるシステムをインターネット上に構築することである。

【基調報告】

八巻さんからは、10年前ベルギーを訪れたとき受けた衝撃を話す。芸術に限らずいろんな学校が、障害者にも一般市民にも開かれていて、誰でも入学ができる。そこには必ずプロの指導者いる。そのプロの指導者は国が生活を補償する。この中から著名な賞をもらうようになる障害者もいる。日本にはこんな仕組みや制度はあるのだろうか。やりたいと思っても障害者は殆ど門前払いが日本の状況である。だから、日本では、インクルーシブという観点、視点は今とても大事なんだ。この日本でインクルーシブを始めることに大きな意義がある。

稲垣さんは、2001年「とっておきの音楽祭」を仙台に立ち上げた。町の方々のストリートにステージをつくり、1団体30分程度の発表会を1日中市民の前で演奏する。歌あり、踊りあり、演奏ありで、誰でも参加できる。うまい、下手は二の次、人前で発表することが目的だ。約200のグループ・個人がステージに立つ。もう6年目になる。この中からプロの音楽家が育っている。昨年は、仙台市以外の町でも、宮城県以外の町でにも広がってきました。2007年には横浜市でも開催を計画中とのこと。稲垣さんはまた、NPO法人オハイエ・プロダクツ(理事長)も立ち上げた。障害者だけでなくマイノリティの社会活動を支援するNPOである。プロの音楽家になることを支援している。

定行さんは、インクルーシブダンスを事業目的としたNPO法人みやぎダンスの理事長である。始めにみやぎダンスの内容を説明し、その活動経験を踏まえて「アートには、包容力があり、誰をも取り込みかつ包含してしまう力がある」という話をした。次に、インクルーシブなアート活動をし続けるには2つの大きなハードルがあるという。一つ目のハードルは、どんな人でも自分がしたいと思ったときに、アートを楽しめる環境がすぐには見つからないということ。しかしこのハードルをこえたとき、中からいくつか質の高いアートが生まれてくる。更に、質の高いアートを持続して提供できる人、即ちアーティストを育てあげるところが2つ目のハードルである。これにはプロの指導者あるいは側面をサポートするプロも必要である。これが手短なところにいないということである。日本でも、オハイエ・プロダクツが音楽の分野で始めたところです。

鼎談以降については、「インクルーシブアートの日その2」を参照のこと。

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2007.02.23

インクルーシブアートの日No.2

2007年3月4日(日)インクルーシブ・アートの日が近づいてきました。
再度のご案内です。障害者と健常者が一緒につくる芸術(インクルーシブアート)の普及を目指したイベントです。

2007年3月4日にで開催します。

 仙台市青年文化センター
 11:00~12:30
 10:00~12:00 体験ワークショップ
          (音楽、ダンスの2種類)
 13:40~14:00 受付開始
 14:00~16:30 シンポジウム
         (インクルーシブアートの可能性)

是非とも、来て、見て、体験して、話を聞いて、考えてください。

なぜ障害者と健常者は別々に活動しなければならないのでしょうか
別々の場所で、別々の空間で

人それぞれに個性があるように、障害者の中にも、健常者の中にも、他にない光る個性があります

障害者の個性と健常者の個性を合わせたら、すごい芸術になるのではないでしょうか

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2007.02.19

アクセスアーツフォーラム in 仙台報告

アクセスアーツの報告をします。かなり自己流の理解のしかたですが、申し訳ありません。

問題提起:【播磨靖夫】(たんぽぽの家理事長)

事例報告:
【柴崎由美子】 コミュニティ・アクション ~オーストラリアのアートNPOとの交流プログラム
 「たんぽぽの家アートセンターHANA」所属の山野将志さんは美術の領域で活躍するアーチスト。彼はたんぽぽの家とアーストラリアのNPOとが企画した「オーストラリア交流プログラム」の派遣アーチストとして2006年7月の1ヶ月間オーストラリアに滞在しオーストラリアの人々と作品作りをした。柴崎さんはそのレジデンスを担当した。山野さんの絵はトヨタ自動車、日立製作所、関西電力などの建物に飾られている。いろんなアート展にも出品している。その活動報告。いつも描いているわけではない、描きたいときに描く。山野さんはどこにいても山野さん。描いてといわれても描かない。描きたいと思ったときに描く。あるがままに生きている。

以下は、仙台で活動している人たちの報告です。
【島崎詠子】 芸術をともに楽しむ仲間作りをめざして
「ミューズの夢」の副理事長で、障がい者のための音楽教室を立ち上げて活動している。
障がい者に限定はしていない。音楽の専門家が多数応援している。誰もが楽しめるはずの音楽を限られた人のためだけのものにしてはいけない、そのための様様なアプローチをしている。自分の教室だけでなく、こまくさ苑(社会福祉法人)や西多賀病院などに出向く訪問音楽教室も実施している。普通の手段では会話がなりたたない人同士でも音楽を通すと心が通じ合うことの報告があった。

【小島まこと】 アトリエ・ぽてとはうすからの報告
「NPOアートプラネッツ・みやぎ」、「NPO美楽アートクラブ」理事長、美術家。
仙台市の山里に知的障がい者入所厚生施設の中に「アトリエ・ぽてとはうす」があり、ここで、障がいのあるひともないひとも一緒にアートを楽しんでる。小島さんは「知的障がい、精神障がい者は、最初から美術などやっても意味がない、やれっこない」という世間の風評を辛辣に批判する。福祉行政にも、障害者の親にも、さてはて小規模作業所など福祉施設にもそう考えている人がいるという。「アートは誰にもできるのだ」を今後も実践していきたい。

【定行俊彰】 インクルーシブアートには2つ大きな壁がある
「NPO法人みやぎダンス」理事長。「インクルーシブアートNPO仙台」代表。
障がいのあるひととないひととが一緒に創る(インクルーシブな)芸術は、今までにない新しい芸術である。芸術を創るうえで障害者も健常者も基本的に違いはないし、その芸術性の質に優劣はない。4年間毎年作品を作りつづけてきた。一般客から2500円の入場料をとる作品には質的にも高いものを要求される、当然のことだ。このインクルーシブ活動をやっていくには大きな壁が2つある。本日は第1の壁について話したい。それは芸術の場に参観させるときの壁である。無意識に、あるいは暗黙の了解として、障がい者の親や周りの人が、その子には無理だ、できっこないと思っていることだ。可能なの?、ほんとにアートなの?そのこころがあるせいか、親でさえはそのような場がないと思いこんで探そうともしない。この壁をブレイクスルーするにはどうすればよいか考えた。そして結論に達した、それは「最高の芸術を創り見せるしかない」と。

【パネルディスカッション】
アートはひとと人とを結びつけるものだ。アートを通して、誰もが、ありのままに生きることができる。福祉ということばは、文化的に低いというイメージだ植え付けられている。エイブル・アートとは、障がい者の芸術創造と思われているが、実は違うのだ、傷がい者のためだけではなく、一般市民のための芸術創造をさしている。日本では芸術は遊びと考えられていて、アートは無駄、時間の浪費と考えられている。しかし、人と人とをつなぐ、人と社会をつなぐ力を持っている。だったらアートでもっと遊ぼうよ。遊べば心豊かになるんだから。

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2007.02.09

アートとインクルーシブ

 遅ればせながら「ソーシャルインクルージョンと社会起業の役割-地域福祉計画推進のために」(炭谷茂・大山博・細内信孝編著 出版 : ぎょうせい)を読んでみた。EU地域特にイギリスでインクルージョンが制度として確立していく過程や、その中での政府、自治体、地域が相互に係わり合い、それぞれのやりかたでの活動が全体としてインクルージョンを形ずくっているさまを記述している。インクルージョンが制度と確立されていて、尚且つ、身近かな地域活動にもインクルーシブが当たり前のように息づいている社会がすでに実現していることに驚嘆を覚えた。因みに2004年発行の本であることに驚いた。それ以前のイギリスの話であることに。
 また、この本には、日本各地のインクルージョンの実例も豊富に載せてくれている。インクルージョンとインクルーシブの違いもなんとなくだが見えてきた。ソーシャル・インクルージョンは、ひとつ活動というよりは、地域社会、あるいは市・県全体とか国としての(社会)制度そのものを指していると思う。そしてインクルーシブとは、具体的な活動のひとつに対しての個人の関わり方をさしているように思えた。
 アートの力についてもページを割いてくれている。アートが、引きこもりや不登校などの生徒を社会復帰させる事例、アルツファイマー患者の改善例、障がい児・者を生き生きさせることなども載っている。読みながら、みやぎダンスにも同じように良い方向に向かう障がい児がいて変わっていく様をみているのでうなづきながら読んだ。
 このアートの力についてのシンポジウムが2月18日(日)宮城県美術館で開催される「アクセスアーツフォーラム」です。是非見に行きませんか。

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2007.02.03

アクセスアーツ フォーラム

「アクセスアーツ フォーラム -障害のある人の芸術文化活動を通した社会参加-」が仙台で開催されます。チラシの一文を引用します。

障害のある人の生活の質を高め、社会参加の機会となるアート活動が全国において広がってきております。これらの活動は、障害のある人たちの生きることを豊かにするだけでなく、周辺にいる人たちとの関係性を豊かにします。さらに、コミュニティに変化もたらし、社会とアート、人とアート、人と人の新しい関係を示唆しています。

Omote_outline
これは奈良の財)たんぽぽの家が主催で(助成 日本財団)全国各地で開催されます。この分野では草分け的存在の「財)たんぽぽの家」の播磨靖夫理事長が挨拶をします。仙台会場では以下の内容のパネルディスカッションです。
■プログラム
 □問題提起
  ・播磨靖夫(財団法人たんぽぽの家理事長)
 □実践発表
  ・定行俊彰(NPO法人みやぎダンス理事長)
  ・小島誠(アートプラネッツみやぎ代表)
  ・島崎詠子(NPO法人ミューズの夢副理事長)
  ・柴崎由美子(たんぽぽの家アートセンターHANAプログラムディレクター)
   +山野将志(アーティスト/たんぽぽの家アートセンターHANA所属)

福岡フォーラム:2/10(土) 福岡アジア美術館あじびホール(博多区リバレインセンタービル)
仙台フォーラム:2/18(日) 宮城県美術館講堂(青葉区川内元支倉)
大阪フォーラム:2/25(日) 應典院本堂ホール(天王寺区下寺町)
東京フォーラム:3/10(土) 明治安田生命MY PLAZAホール(丸の内マイプラザ)
愛知フォーラム:3/18(日) 社会福祉法人むそうアートスクウェア(半田市長根町)

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2007.01.29

インクルーシブ・アートの日

Ians
2007年3月4日(日)仙台市青年文化センターで「インクルーシブ・アートの日」を開催することになりました。
障がいの有無や年齢,性別,国籍等にかかわらず誰もが参加できるインクルーシブなアートの場を作ろうと、仙台市にあるNPOが手を組みました。”アートは誰に対しても平等で開かれている”をモットーに活動を開始しました。その具体化の第1弾がこの「インクルーシブ・アートの日」です。メインはシンポジウムですが、体験ワークショップも同日開催されます。今回は音楽とダンスの2つです。これから毎年開催しようとしています。
チラシの言葉を引用します。

誰もがアートに触れ,創作活動を行うことができます。アートは一人一人の多様性を認め合いながら,人と人,人と街をつなぐことができます。そして,一人一人が豊かに生きる場を提供できます。しかし,障害があるというだけでアートに触れる場があまりにも限られているのではないでしょうか?障害の有無,国籍,性別,年齢などにとらわれずアートに参加できる「インクルーシブアート」の必要性を強く訴えます。

仙台市には、美術、音楽、ダンスの分野で、インクルーシブな活動をしているNPOや任意団体がいくつかあります。これらの団体が個々に閉じた空間で活動していても、広がりません。そこで、これらの団体が手を組んで新しい組織を作りました。「インクルーシブ・アートNPO仙台」略してIANSです。いろんな分野のアートを一同に介してワークショップを開催するので、健常者や障がい者にとっても、この場に来ることで選択の幅が広がります。いままで、ダンスをしてきたが、絵や音楽にも興味があればやらしてみたいと思う人も多いはずです。そんな人に打ってつけの場です。絵をやっている人も、音楽もやりたいなと思う人もいるはずですから。今回は、「NPO法人みやぎダンス」(ダンス部門)と「NPO法人オハイエ・プロダクツ」(音楽部門)が責任団体として開催します。
また、財団法人仙台市市民文化事業団の全面的な応援(共催団体として+助成+会場提供)を頂いています。
IANSの目標は、仙台市から宮城県へ、東北地方へ、そして日本全国へと活動を広げたいと考えています。もうすぐ、IANS.netが立ち上がります。全国のインクルーシブ・アートの活動をしている団体へ呼びかけようとWebを作成中です。そして、いろんな人の目にとまり、障がいのあるひとが自分が関われるアートがあるんだということを知ってほしい。そしてインクルーシブがもっともっと広がっていくことを願っています。

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2007.01.20

インクルーシブについて

ターボさんから頂いたコメントを読みつつ、再度、インクルーシブについて考えてみた。
世の中全てをインクルーシブにせよという訳ではない。特に芸術創造という点では、なお更である。みやぎダンスはダンスパフォーマンスを舞台で演じる団体である。ダンスとはいえ古典的なダンスではない、どちらかといえば演劇に近い、ただしほとんど言葉は使わない。ダンスの動作で場面を表現する。社交ダンス、クラシックバレー、フラメンコ、などのように型が決まっているわけではない。体の部分や全体を使ってストリーを構成していく。「うれしい」を表現するときは、全身で飛び跳ね、両手をかざして、目を丸くして表現する。悔しいときは、足を鳴らし地団太を踏むように、そして握りこぶしつくり両腕を下に向けて何度も殴りつけるように動かし、顔を引きつらせる。あるいは、激しい怒りや悲しみは、赤い服装や照明で、心の静けさや安堵感は、青い色の服装や光で表現する。典型的なコンテンポラリーというほどでもないが、分類上はコンテンポラリーに属するのだろうと思う。言葉でストーリーを説明的に場面を構成する劇では、インクルーシブはなかなか難しい。みやぎダンスは言葉は要らない、殆ど使わない、雑音程度には使う。だから障がい児(者)が参加し易い。音楽や照明、舞台装置がとても大事な表現要素になる。全体的な流れは構成するが、個々の場面では意外と即興的な動きが取り入れらてくる。ある意味で即興の芸術と呼ばれる所以でもある。障がい者は即興に強い。健常者は決まりきった日々制約を受けることに慣れていて即興が難しい。行動する前に頭で考えてしまうからである。流れに沿った進行場面では健常者が強く、即興的な場面では障がい者が強い。健常者は障がい者のできない動きができるし、障がい者は健常者の不得意な即興で芸術を表現できる。これが一緒になって舞台を創るとき、今までにない新しい芸術を生み出す。インクルーシブでしか表現できない芸術を創ることがみやぎダンスの目的である。
 健常者だけの団体があっていいし、障がい者だけの劇団があっていい、更に、健常者と障がい者が一緒にやるクラブがあっていい。だから、世の中全てがインクルーシブであるべきなどとは言わない。1/5でもいい、1/10でもいいから、インクルーシブな活動をする仲間、団体があっていいと思っている。日本では、殆ど皆無に近い。ロンドンで見た光景は、劇団募集、ダンスサークル募集、スポーツクラブ募集のチラシや看板に「inclusive」とあれば、健常者も障がい者もOKですよって意味なんです。日本では殆ど見たことがない。でも最近、少しづつインクルーシブな団体が見つかるようになってきた。絵のサークル、音楽の団体、ダンスのクラブなど、本気になって捜すと見つかる。
 悲しいことに、障がい者(児)の親は意外とあきらめている。そんなこと、うちの子には無理だよって、勝手に思いこんでいる。実は、子供が原因ではなく、親がインクルーシブを避けていることが多い。親が勝手に思い込んでしまって機会を逃しているのが多いのだ。インクルーシブは福祉にもなりうることが多々ある。みやぎダンスに来る前は、引っ込み思案で欝に近い状態だったのを、ダンスで体をう動かすことに喜びを感じて、ダンスの練習にだけは出かけるという障がい児が何人も見てきた。耳が聞こえないために、周りの環境や人とは没交渉となっていた子が、ダンスをやるようになってから、体を動かすことでボディランゲッジできることに気づき、挨拶もニコニコ顔で手野平を叩き合ってするようになった。もちろん今はステージクラスに参加し、年1回舞台公演に今も出ている。
 福祉的要素もあり、その芸術性で人に喜びを与えることができる、インクルーシブそのものに、ある意味で成熟した社会であり、明るい未来と希望が見えている。と思えるのだ。

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2007.01.13

いじめ

 いじめについて、いろんな人の話を聞くにつれて、ここにもインクルーシブの必要な世界があったんだと思う。マスコミの話ばかりが聞こえているのでどれほど真実が私に伝わっているかは不安ではあるが。
 いじめる側は、いめられる側を100%逃げ場がないように追い詰めているようだ。すきがないのだ。1%も譲ることなく、完璧なまでに追い詰めている。江戸時代には村八分という制度が村々にあったと聞く。この村八分との違いを見せつけられている思いがある。村八分との違いは、八分の残り二分にある。村という共同体(コミュニティ)の中でどのような極悪非道のものであっても、二分はひとと人との付き合いを許していた。100%排斥はしていないのである。その二分とは葬式と誕生祝い(あるいは葬式と火事)の時は村が総出で一緒に行動した。それ以外は共同で行うことはなかった。
 今のいじめにはその二分がない。それまでも排除してしまい、一切遊びがないのだ。それが正しいのだ思い込んでしまっている。信念として正しいと思っていることはいかなることがあっても揺るがすことはない、これが人生の正しい選択と思い込んでいる。自分にとって正しいと思えることは、他人にとっても100%正しいものだと思い込んでいる。しかし、こういった生き方あってもいいじゃない、って自分にはとても甘いのだが。
 容貌のちょっとした違いが、人格の欠損だとまで思い込み、排除の論理で区別してしまっている。帰国子女ということだけでも、文化の違いやら感性の違いやらが許せないのだろうか。こんな人もいて、あんな人もいて、社会があることを知らないだろうか。
 バリヤフリー(障壁があったら取り除こう)からユニバーサルデザイン(初めから誰にでも障壁にならない用に考えて、物を作ろう)へ、そしてこれからは、構造物や施設など生活空間をユニバーサルデザインにするだけでなく、ひとひととが付き合う社会そのものをインクルーシブ(どんなひとも垣根なく一緒にいること)にしようといことが大事なことだと気づき始めている。いじめる側もいじめられる側もインクルーシブで、一緒になれば、あるいは、二分でもいいかえら、一緒に何かできたら、いじめなんかあっても深刻にならないのにと思う。
 どんな動物でも、いじめはあると思う。だから人にあっても不思議はない。でも100%排除するな、二分でもいいから相手を許せ、話を聞け、一緒に笑え、そうすれば、いじめなんか問題じゃなくなる。
 ところが、今は、先生も教育委員会も、タウンミーティングを主催する文部科学省役人も、自分が思い込むものが100%正しいのだから、それ以外は一切排除を決め込んでいる。自分たちの思うことは100%正しいのだからお前らも認めろよといっている。二分でも違う意見があったら、聞く耳もとうよ。世の中100%だけじゃないのよ。
 インクルーシブって、違った容姿でもあってあたりまえ、障害者がいれば健常者もいる、年寄りがいれば子供もいる、黒人がいれば白人もいる、もちろん黄色もいる、そんな人々が一緒にいる、そんな社会を指しているんだと思う。
 私は、たまたま、障害者の親というだけだ。インクルーシブはとても大事な概念だと思っている。

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2006.12.27

NHKの「石井筆子」

NHKのその時歴史は動いたを見た
 「日本で始めての知的障害児教育の開拓者」として紹介されていた。かつて日本では障がい児を社会が取り込み健常者と共に生きたいた。社会が受け入れていた。しかし、明治という時代は、西欧に追いつくことが最重要課題であり、日中戦争もあり、富国強兵も叫ばれていた。このような時代では、障がい者のような弱者には試練の時であった。義務教育の対象からは完全に除外されていた。教育の必要なしというレッテルを日本政府が宣言したのである。
 このような厳しい時代にありながらも、2番目の夫、石井亮一と共に滝乃川学園を立ち上げ、知的障害児教育を始めた。学園生活の中で、知的障がい児がゆっくりではあるが確実に成長していく過程をつぶさに見ていたのである。全財産を投げ打っての教育である。涙ぐましい努力であったろうと思う。
 映画とは違い、番組では、心の中を浮き彫りにした内容で、筆子が、何に憤り、何に悩み、苦しみ、何に喜びを見出していたかを見せてくれた。番組では、筆子の日記の言葉などを持ち出し、こころのうちの動きにスポットを当てていた。
 筆子は社会に、教育で成長することを伝え、だからこそ教育が必要なことを訴え、小学校に養護学級の必要性も訴え続けたという。このような先人がいて初めて、今、私の子のような障害児とそのの親にも光明が当たるようになってきたと思う。筆子がいなかったら、もっと遅れていたに違いない。
 まさに、知的障害児教育の基礎を築いた人であった。この意思を受け継いで自分たちが何をしなければならないのか、そのひとつとして、私はインクルーシブ社会を築くことだと思い始めている。教育現場では、養護学級もあり、普通学級に入り統合教育も既に積み重ねられている。でも、イギリスなどに比べると、インクルーシブという概念が日本には根付いていないことに気がつく。かつて日本の社会にあったいう「インクルーシブの世界」を築けたらと思うである。
 インクルーシブというのは、バリア・フリーやユニバーサル・デザインが普及し物としての障害、障壁をなくした後にくるもである。物だけでなく心の障壁をも取り除いた社会がインクルーシブだと思う。社会生活すべてが、障がい者も健常者も区別することなく、お互いの思うがままに暮らせる世の中であろうと思う。こんな社会が一気にやってくるのは日本ではまだ先のようだ。
 でも、芸術の分野でなら実現可能な方法を見つけ始めた。そのひとつの具現化がみやぎダンスとの係わり合いだと思っている。ここには、障がい者も健常者も区別はない、個人としての個性があり、何が得意で、何が不得手かという極々ありふれたことがらを、多様性ととらえた上で、芸術の創造をダンス舞台というもので表現しようとしている。こんな仲間に会えたことに感謝し、こんな仲間と一緒に活動できることに喜びを感じ、もっと仲間を増やすことにお手伝いできたらと思っている。

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2006.10.30

インクルーシブで考えてみて

  このごろ、やたらに多いもの、小中学生の自殺、親の子殺し、公務員(役人)の不正。

【小中学生の自殺】
 その報道のほとんどが「いじめ」という観点からの報道である。もっと別な面の事実はないのだろうかと疑問に思うのは私だけだろか。新聞も放送も、事実というよりは、読者が欲する記事の作り方に重点をおいてセンセーショナルにしている感が否めない。私は事件の現場にいた訳ではないので、嘘かまことか判断できないのだけれど。いじめはあったのだろう、でもいじめだけが先行すると対策が見えてこない。何年も「いじめ」があったにも関わらず表面化するのを押さえただけで「いじめ」はなくなったと勘違いしてしまう。年金受給者の数をごまかし、制度はうまく動いていることをカモフラージュするのと根は同じかもしれない。

【親の子殺し】
 また逆に、子の親殺しもある。肉親とは、無条件・無制限の愛で結ばれた関係なのにと思う。親子(肉親)ではない人と人との間の「愛」には一般的に少なからず条件や制限が含まれる。特に最近は愛することではなく、一方的に愛されることのみを求めることが多いような風潮を感じている。大事なのは愛されることで、愛することはないというのだろうか。この感情が親子の間にもでてきてしまっているのだろうか。自分と合わない、自分の意に添わない、そんなことだけで相手を拒んでしまう、排斥してしまう。さては、命を奪ってまでも自己の意思を通そうとする。

【公務員の不正】
 グリーピアの無駄遣い、県庁内のみなし出張旅費、防衛庁、厚生省、そしてスポーツまで金まみれの有様である。福島県知事の県民裏切りもあった。あまりにあり過ぎて書ききれないほどだ。
 
【インクルーシブ】
 自殺した子とそれを取り巻く人々(同級生、先生、教育委員会)の間には、「同じ考えの多数者」対「その多数者にとっての異質な考え方少数者」の2極があったのではないだろうか。多数者が少数者を排斥する、壁をつくる、そんな形があったように思える。
  ・相手が傷つくとは思わなかった。
  ・自分がやっていることがいじめとは考えなかった。
自分と違った考え方や物事の進め方の人を認めずく排除してしまう。バリヤーを形成してしまう。肉親を殺してしまうことも、同じような原因が見えてしまう気がする。公務員の不正行為でも実は、同属意識、仲間意識がバリヤーをつくり、その中では許されてしまう不正がはびこったような気がする。
 障害者と健常者の間に横たわる壁によく似ている気がする。インクルーシブとは、多数だろうが少数だろうが、別の生き方、考え方を認め合うことだと思う。一緒にいる(棲む)ことだと思う。多様性を認め合うことが社会の成熟だとも思う。そう考えると、インクルーシブとは、障害者と健常者との間にあるだけ必要なのではなく、健常者の中にも必要だし、よくよく考えると障害者の中にも必要だと思う。インクルーシブとはそういったすさんだ世界の救世主なのかもしれない。

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2006.10.20

インクルーシブを考えてみる

 みやぎダンスの活動は、ダンスパフォーマンスで表現することですが、その中でも最も大事なことはインクルーシブであるということです。このインクルーシブを考えてみた。

【バリア・フリー】
 いろんな意味での障壁(バリヤー)を取り除き、ひとを開放するという意味がこめられた言葉・概念だと思います。道路のちょっとした段差や傾きがあると車椅子に乗ったひとの行く手を簡単に塞ぎます。障害者とは同じクラスにいたくない、とか、動作が変だから一緒遊べない、とか、親がその子とは遊ぶなと言うなど、世の中にはたくさん障壁があります。これらの壁をひとつひとつ取り除きましょう、これがバリヤ・フリーです。

【ユニバーサル・デザイン】
 障壁を取り除くのではなく、最初から壁を作らないようにしましょう、という言葉・概念ですね。多数者のためだけの構造物(人間が作り上げた社会も構造物と言えます)から、多数者も少数者も誰にでも使いやすい構造物を最初から作る(デザインする)、これがユニバーサル・デザインです。

【インクルーシブ】
 大人も子供もお年よりも楽しめる、男も女も一緒に行動できる、健常者も障害者も同様に芸術を表現ができる、別々に分けることなんて意味がないということを表した言葉・概念です。少数者だからといって、社会から弾き出されず、多数者をともに生活できる、生きられる。これがインクルーシブです、とても大事なことです。
 バリア・フリーやユニバーサル・デザインとは一部オーバーラップもしますが、重なり合わない部分も持つ別の概念だと思います。こころの在り様までも含んだものでしょう。

 健常者と障害者の間の壁ばかり気にしていましたが、よく見ると、健常者の中にも恐ろしい壁があることがわかります。最近、頻発している小中学生の自殺、毎日のように報道が繰り返されています。多くは【いじめ】が原因のようです。このいじめというのは、言ってみれば、健常者と障害者との差別以上にひどいのかもしれないと思うようになりました。仲間はずれ、づまはじき、しかと、嫌がらせ、一方的暴力...。これが子供同士だけではないのですね。こともあろうか、先生と児童の間にもおきていたなんて。
 バリア・フリー、ユニバーサル・デザイン、インクルーシブ、これらが欲しいのは、障害者だけはなく、健常者もなのだと思い知らされてきました。

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2005.03.09

感じるダンス

 踊ることの好きな人たちは、音楽がはじまると、勝手に踊りだすんです。障害のある人も、障害の無い人も関係ありません。みやぎダンスの人たちは、飲み会のときなど、それはもう〜大変なんです。カラオケなんぞが聞こえるととたんに踊りだすんです、即興的にね。舞台稽古のときなど、感じるままに踊りましょうと言われると難しいなどと嘯きながら、こんな時は体が勝手に動き出す、なんて言ってるんですよ。ほんとにダンスの好きな人たちの集まりなんです。

 障害の無い人は、「世間の常識や既成概念に束縛される」ことが多くて、感性の趣くまま、感じた通りに踊りだすことを難しくしてるんだそうです。それにくらべると、障害のある人は、ありのままに感じたまま、踊りだすんだそうです。音を自然に受取り、その音に自分が感じたままをあわせて、そして、踊りだすんです。感じたままを表現するのです。

 障害のある人にもない人にも、即興的に表現することはできるのですから、一緒に踊りましょうとなってきたのだと思います。一緒になって即興的なパフォーマンスを表現しましょう、それが「みやぎダンス」の」原点だと思うのです。

 障害のある人の感じたままの動きに、障害のない人が呼応してダンスに加わります、障害者の踊りに感じるままをぶつける踊りです。障害のない人の踊りと、今聞こえる音楽に合わせて、障害者が踊ります。変化がでます、それは、音からかもしれませんし、対面する人の踊りからかもしれません。これをひとつのテーマの中に組み込んでいくと、ひとつの作品が出来上がってきます。

 みやぎダンスのダンスは、ですから生演奏を大事にします。「真夏に舞うゆき」公演のときは、稽古のときから和太鼓奏者と一緒でした。鼓楽衆「翔」のメンバです。場面に合わせて太鼓と横笛が鳴ります。その音にあわせて踊ります。ダンスの中に変化を見取って、太鼓や笛が変わります。音の変化で、また踊りが変わります。そんな稽古が続くのです。次の「こころの陰、光のかけら」公演では、プロピアニストの稲垣達也さんが稽古のときらずぅーっと一緒でした。今回の「アスタリスク」公演では、稲垣達也さんに、津軽三味線の浅野祥君(全日本チャンピオン)が加わり、今稽古に励んでいます。今年は3月19・20日に仙台公演を皮切りに、ロンドン、大阪、山形で公演します。また仙台市芸術祭への参加も決まりました。

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2005.02.10

本当の障害者は誰?

 障害者は、どっち?って思う事ありませんか。偏屈で、意固地で、人の話を受け入れない人っていますよね。障害のない人のことです。言って見れば、養老さんの書いた「バカの壁」に出てくるような人のことです。自分の回路の中では論理が通っているのです。他人から見ると、まさにバカの壁なんです。
 朝会社で挨拶をしますよね。普通だったら。でも最近挨拶しない人多いんです。挨拶しないのではないんですが、自分からは挨拶しない人多いですよね。こちらから挨拶するとかろうじて挨拶を返してくれる人です。
 私の子はダウン症です。知的障害者です。言葉が出ません。時々単語はでるのですが、話言葉にはなりません。でも、そんな彼でも、挨拶はしてくれます、それもとってもにこやかに。言葉ではコミュニケーション取れなくても、顔で、動作で、コミュニケーションが取れています。そこには、障害者と健常者の壁、バリアーはないのです。私は彼を障害者とは思えません。彼も自分を障害者と思っていません。
 今、「みやぎダンス身体表現の会」という団体に加わり、彼はダンスパフォーマンスに取り組んでいます。ありがたいことに、そこの団体は、健常者だけでは作れない、障害者だけも作れない、健常者と障害者が一緒でないと完成しない舞台づくりをしています。このような活動をしているのは世界的にも少なく10本指に入るくらいでしょうか。今年は3作品目を作り3月に公演します。6月にはイギリスに行き、世界の同じような活動をしている10数団体と世界大会を開催し公演してきます。そこには、車椅子の人と健常者が共に作るダンスをするカンパニーのカンドゥーコという団体もきます。入場券の入手が極めて困難なほどのダンスパフォーマンスを見せてくれます。
 このような人たちの中にいると、誰が障害者?と思えてきてしまいます。認定はされていないけれど、障害者だらけじゃないの、この世の中、って。この団体の中では、バリアーフリーと呼ばず、ユニバーサル・デザインを目指すという表現をしています。

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2005.02.03

たんぽぽの家

 奈良に「たんぽぽの家」という組織グループがあります。障害のある人が、社会の中で、障害のない人と同じように生き、活躍し、感動することを支援しているグループです。財団法人たんぽぽの家、NPO奈良たんぽぽの会、社会福祉法人わたぼうしの会などに分かれてそれぞれ活動しています。障害のある人も、社会の中で、人のためになることを、ひとの喜ぶ姿を見たい、お手伝いをしたいと願っているのです。
 「あなたの喜ぶ顔がみたい」という気持ち、行動には、障害のあるなしは全く関係ないのです。そんな活動を持続的に実施してきている「たんぽぽの家」の活動を支える人たちがうらやましく、感動もしています。私たち みやぎダンスは、障害者と健常者が一緒につくる舞台芸術を目指しています。別な形で、障害者と健常者とのユニバーサル・デザインを目指しているのです。障害のあるなしにかかわらず、誰も同じように暮らしていける世の中をつくることに夢をかけています。何時になったらと思う反面、確実にこのような活動が日本各地にでてきていることは確かです。

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