« 2005年1月 | トップページ | 2005年3月 »

2005.02.24

中国旅行記 (その6) 天子山(張家界)

2004/10/22
200mElevator 天子山風景区も、上から見る張家界です。連綿と続く針の山が広大に広がっています。例のICカード+指紋認証のゲートをくぐり、バスで、垂直200mエレベータに向かいました。百竜電梯と名づけられているエレベータは、断崖を這う様に垂直に天に伸びています。下100mくらいが岩盤の中にあり、上部が展望できるエレベータです。世界遺産でもあり、国立公園でもあるので、下部の掘削は発破(ダイナマイト)なしで手掘りしたそうです。エレベータ中から、四八将軍岩をという、一見、たくさんの人が、こちらを向いているような形の断崖が見えます。エレベータの前面が強化プラスチックで透明ですので、下の広場でエレベータ待ちの人々が小さく見えて、恐怖すら感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.22

中国旅行記 (その5) 黄石寨(張家界)

2004/10/21
ropeway 張家界の黄石寨は、上から下を望む張家界です。結構早いスピードのロープウエイで5分ほどで頂上に着きます。高低差431m。標高1093m。ゴンドラは、10人乗りくらいの3連ボックスで見た目にきれいです。
Goshiho  すご〜い!景色です、林立する岩石の柱が地の底である400〜500m下から突き上げてくるようです。終着点から多少アップダウンの道を歩きながら、約1時間、奇石を見て歩きます。六奇閣、摘星台、五指峰(写真)などを見て回りました。全てをみると2時間くらいかかるそうです。

raicya とある茶店で一休み。擂茶(らいちゃ)を飲む。いろんな穀物を入れた飲み物です。(コメ、ショウガ、ラッカセイなど)
帰りのロープウエイの近くでリスを見かけました。あんまり、人を怖がっているように見えない様子です。あまりのかわいさに、観光客は写真を撮っていました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.18

障害者と向き合うことは特別じゃない

 障害のある人と障害のないひとが一緒になって何か活動するとき、障害のない人は障害のある人に、何気に、お世話してしまいます。世話をやきすぎることがしばしば見受けられます。それは障害のない子にもいえる事ですが、過保護にし、じっとされるがままに待っていて、自分から何かをすることを嫌がる子になっていきます。そういう私が実は、我が子に、それを知らず知らずにやっていました。ついつい手を出し過ぎていたのです。
 それは障害の無い人にとり結構負担になったりします。そして疲れ果てることがあります。障害のある人と無い人を、「世話する人」と「世話される人」に分けてしまいます。そこには「一緒に」という意味合いはなくなってしまい、かえって本来の目的からかけ離れた関係を作ってしまいます。
 もっと障害のない子と同じように考えましょうよ。うちの子は、太鼓が大好きです。何も言わずにほっときますと、ヘッドホンをして音楽を聴きながらの太鼓たたきが延々と続きます。夜中の2時、3時過ぎてもやりつづけます。近所迷惑だからやめようといっても、もう遅いから寝ようといっても聞き入れられません。むりに止めさせようとすると、大喧嘩になってしまします。ところが、ニコニコして太鼓は楽しいよという顔を見せながら、もう遅いからやめようね、っと言ってやると、局の演奏が1曲終わると自分から止めてくれることがあります。そうすると機嫌よく寝てくれます。ちょっとやり取りに時間はかかりますが、よい関係のまま機嫌よく過ごせるのです。よくよく考えれば、障害児でも健常児でも、時間の係りぐあいは違うけれど、同じではないかの思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.02.17

中国旅行記 (その4) 金鞭渓(張家界)

2004/10/21
kinbenkei 張家界のなかでも、金鞭渓は、谷底から見上げる張家界です。ガイドさんは、中国の奥入瀬渓流と表現していました。渓流を散歩しながら、直立する岩石の柱を上を見上げては、感嘆詞です。延長5〜6Kmの散策コースで、比較的歩き易いので、普通の靴でも歩けます。特別、登山靴とかトレッキングシューズなどまでは不要です。軽く汗をかくくらいですね。歩いていて、とても気持ちいいです。崩落も少ない感じで、恐怖感は覚えません。

saru 人なれた猿が時々顔を見せます。餌を与えるので人をみると近づくてくるのでしょうね。日本のように人に攻撃的なことはみられませんでした。餌はもらうけど、5m以上人には近づいてこないようでした。

kago
 足の悪い人向けに駕篭があります。昔の大井川のように前と後ろの2人で、2本の棒を肩に乗せ、この棒に箱を結わいつけ、この箱に人が座る形です。1時間ちょっとで3人くらいが乗っていました。50〜60歳台のおばさんが多かった。ここ金鞭渓に限らず、張家界全体に、韓国人が多いことには驚かされる。聞くと、今韓国では、張家界の大ブームだそうである。団体で行動する観光客は殆ど韓国人のようだった。日本からの客は、2、3人づれがちらほら程度である。韓国人パワーにそちこちで圧倒された。

tocya 休憩所が途中1箇所あったが、そこにはきれいに着飾った土客(とちゃ)族のお嬢さんがいて、記念撮影に入ってくれる。これは無料サービスでは無く有料なんです。そこで娘さんたちが、恥ずかしそうに、はにかむんです。それがとても印象的でした。天子山にいた娘さんとは対照的でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.15

ダンスとサービス

 サービスというと、その範囲は結構広い。コンサルタントも、弁護士も、旅行業者も、ホテルマンも、占い師も、人に何かしらを提供することが生業です。これは、みなサービス業でしょう。提供するものが情報だったり、安心度だったり、あるいは物だったりすることが違うだけで。

 では、サービスって何なのだ? 
私は、サービスってのは、究極のところ「あなたの笑顔が見たい」じゃないかと思っています。あれが知りたい、これを手に入れたい、露天の温泉に入りたい、夕焼けの中を飛ぶ赤とんぼが見たい、天ぷらが食べたい....をか叶えてあげるのは、結局は「あなたの笑顔が見たい」からなんだと思います。サービスは、対話なのだな思います。提供する側とされる側の対話です。

 「みやぎダンス」の稽古を見ていて、つくづく思うのです。ダンスって会話してるのかなって。踊ることでいろんな感情を表現します。それは、喜びだけでなく、悲しみであったり、憂いであったり、苦しみであったり、怒りであったり、幸福感だったりします。一人の人が見せる表情に、しぐさに、呼応して、別の人が感情を表現します。さらにその人の姿、形を見て別の人が反応します。今風に言えば、コラボレーションというやつなのでしょうか。これが観客に感動を提供できれば、芸術になっていくと思うのです。これも、「あなたの笑顔が見たい」につながっていくのだと思います。

Contact Inprovization(コンタクト インプロビゼーション=C.i.)という芸術表現があります。知ったばかりで、たいしたこと言えないのですが、人と人とのコンタクト、人と壁と、人と床、人とテーブル、人と椅子、人と空気...などのコンタクトを、ダンスの中に取り入れて、パフォーマンスをします。この中にも、会話あるいは対話があると思います。対話する相手が、人に限らないということなんでしょう。対話はコラボレーション。

 サービスもダンスもC.I.もコラボレーション。みやぎダンスは、障害者と健常者とのコラボレーション。行き着くところは「あなたの笑顔がみたい」だろうと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.02.14

中国旅行記 (その3) 張家界市のレストラン

2004/10/20
 19時に張家界駅に降り、レストランで約2時間、このあたりの食事は、四川料理に近く、全体に辛い、辛くないものを見つけるのが大変である。チンゲンサイと思うのだが、青い葉っぱの炒め物は、辛くは無かった。チャーハンも大丈夫。それ以外は殆ど程度の差こそあれ辛い。武陵という名の白酒(パイチュウ)が出てきた。美味しいらしく、同行の人たちは追加注文を出していた。あいにく、私は下戸でよくわからない。そもそも白酒は、中国では乾杯に飲まれるお酒で、グイゥ!と飲み干すものである。色つきの紹興酒や老酒は乾杯には使わない。白酒は、匂いや味に癖のあるお酒らしく、嫌いな人は受け付けないようだ。
そのあと、張家界市からバスで揺られること約1時間(35Km)、北に向かうと武陵源・張家界につきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.13

中国旅行記 (その2) 宣昌から張家界へ

2004/10/20
 長江に接した町、宣昌(イーチャン)は、三峡の山岳地帯から一気に平野に抜け出したところにあります。宣昌から列車に乗り込み約6時間南西方向に走ると張家界(ヂャンジアヂェ)市の張家界駅に到着します。乗った列車は、軟臥と呼ばれる寝台車、でも13時に乗車し19時ころ下車しているので寝台は使わない。
 中国で汽車というと自動車のことを指します。じゃ、蒸気機関車はというと、火車と言います。また軟臥は4人用のコンパートメント(個室形式)になっていて、窓際の足元に必ず、ポットが置いてあります。いつでもお茶をどうぞ!という感じです。中国では食堂ではお茶は出ません。お茶葉を持参して、またお茶用のポットも持参しています。店にはお湯が用意されています。これで自分用のお茶を作り飲むのが習慣らしいんです。駅、飛行場、食堂いたる所にお湯が用意されていました。ですから、列車や飛行機の待ち時間などにはカップラーメンがすぐ食べられます。
 列車からの風景は、日本にいるような錯覚を覚えるほど違和感がなく、地形から植物までよく似ていました。緯度的には台湾と同緯度ですから亜熱帯にあたります。綿畑も見えました。雑草のセイダカアワダチソウがぽつろぽつり見えました。
 張家界駅に着いたとき面白い物を見ました。ポータが数十人列車の到着をまっていました。各人、天秤棒を1本持っています。ここに降りる人の多くが大きな旅行バッグをもっていることがわかっています。このバッグを駅のバスプールのところまで運んでくれるのです。上り下りの階段がありますが、エレベータは勿論ありません。私らはガイドも含めて1人ですから10個以上のバッグがあります。一人のポータにガイド声をかけました。40〜50歳くらいのおばちゃんです。おばちゃんは、2人の若い男のポータを呼んできて3人のポータになりました。天秤棒の片方にバッゲージを2つ横に並べロープで釣ります。もう一方の端にさらに2つのバッゲージを横に並べて釣ります。1人が4つのバッゲージを担ぎます。その荷物を肩に担ぎ階段をひょいひょいと軽やかに運びます。3人で10人分の荷物を軽々と運びました。料金を払うと、親方格のおばちゃんは、呼んできた2人のポータにわけまいを配っていました。どうやら、最初に声をかけられた人が親方になりグループで動いているようでした。なかなかよいシステムのようでした。おばちゃんも慣れた手順で次から次へと若いポータに指示を出していました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中国旅行記 (その1) 三峡ダム

 2004/10/16〜23に中国に行ってきました。
(蘇州−三峡ダム−武陵源・張家界)
本来の目的は三峡ダムの視察です。平成7年10月(1993/10)にも一度見に行ってます。このダムは長江の中流域にあります。しかも三峡という風光明媚なところです。

2004/10/19
SankyoDam

 このダムは世界一のダムです。高さ175m、幅2335m、湛水面積1084Km2というとんでもない大きさです。あまりの大きさに生態系が破壊される懸念から世界銀行も資金を貸し出さないという経緯があります。170m近く水位が上がってしまうのですからね。三峡の景色が失われてしまうわけです。ここにはチョウザメが生息しキャビアも産出しています。昨年6月からダムに水を張り始めました。工事の最初の段階も見て、今回は湛水を始めたダムを見に行ったのです。ダム湛水延長は600Km、この区間に殆どの三峡地区は入ってしまっています。
 前行った時は船で重慶から移動しましたが今回は新しく宣昌空港ができていて、飛行機で移動しました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.12

お茶の淹れ方

 上海で、ガイドさんに連れていかれた店で、店の方にお茶を淹れて頂きました。
烏龍茶は、95℃の湯を使います。
急須(茶壷)や茶碗にお湯を入れて暖めます。実際は、お湯に茶碗を入れていました。
急須に底が見えなく程度の茶葉を入れます。日本茶と分量は変わらないように思います。
一度お湯を注ぎ、捨てます(洗茶)。茶葉が開きめたらよいそうです。約1分くらい。
お湯を急須に入れてふたをし、先ほど急須などを暖めたお湯を取っておき上からかけます。急須の中を蒸らすんだそうです。1分半くらい待ちます。
お茶の香り専用の茶碗(細長い筒状で聞香杯って呼ぶそうです)に、急須からほんの少し入れます。鼻の近くに持ってきて両手で挟んでまわすようにして香りを楽しみます。
それから、茶碗に注ぎ飲むのです。よい茶葉なら5,6回、普通のなら3回ほど飲めるそうです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.02.11

金萱烏龍茶

 きょう行きつけの店で、新らしいお茶を買ってきました。金萱烏龍茶といいます。台湾の高山烏龍茶で、ほんのり甘い香りのするまろやかなお茶です。バニラの香りそっくりです。茶碗のまわりにその香りが広がります。なんとなく気分がいいです。
 実は、その店の人に前から頼んでいたのです、バニラ味の烏龍茶を探してって。ないね、っていわれていたんで、あきらめていたんです。でも今日、偶然、店に並んでいる目新しいお茶を買ってきて封を開かけたら、懐かしい香り飛び込んできました。おぅ〜!!、この香り、飲んで、まさしくこの味、上海で買ったあのお茶です。
 このお茶は、1回は飲まなきゃね。損はないと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.02.10

本当の障害者は誰?

 障害者は、どっち?って思う事ありませんか。偏屈で、意固地で、人の話を受け入れない人っていますよね。障害のない人のことです。言って見れば、養老さんの書いた「バカの壁」に出てくるような人のことです。自分の回路の中では論理が通っているのです。他人から見ると、まさにバカの壁なんです。
 朝会社で挨拶をしますよね。普通だったら。でも最近挨拶しない人多いんです。挨拶しないのではないんですが、自分からは挨拶しない人多いですよね。こちらから挨拶するとかろうじて挨拶を返してくれる人です。
 私の子はダウン症です。知的障害者です。言葉が出ません。時々単語はでるのですが、話言葉にはなりません。でも、そんな彼でも、挨拶はしてくれます、それもとってもにこやかに。言葉ではコミュニケーション取れなくても、顔で、動作で、コミュニケーションが取れています。そこには、障害者と健常者の壁、バリアーはないのです。私は彼を障害者とは思えません。彼も自分を障害者と思っていません。
 今、「みやぎダンス身体表現の会」という団体に加わり、彼はダンスパフォーマンスに取り組んでいます。ありがたいことに、そこの団体は、健常者だけでは作れない、障害者だけも作れない、健常者と障害者が一緒でないと完成しない舞台づくりをしています。このような活動をしているのは世界的にも少なく10本指に入るくらいでしょうか。今年は3作品目を作り3月に公演します。6月にはイギリスに行き、世界の同じような活動をしている10数団体と世界大会を開催し公演してきます。そこには、車椅子の人と健常者が共に作るダンスをするカンパニーのカンドゥーコという団体もきます。入場券の入手が極めて困難なほどのダンスパフォーマンスを見せてくれます。
 このような人たちの中にいると、誰が障害者?と思えてきてしまいます。認定はされていないけれど、障害者だらけじゃないの、この世の中、って。この団体の中では、バリアーフリーと呼ばず、ユニバーサル・デザインを目指すという表現をしています。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2005.02.08

花粉症ではない!

節分過ぎてなんか急に寒くなりました。今年の冬は霜柱あんまり見ないなと思っていたのですが、ここ2,3日、地面が凍っています。豆まきしたら、春がちづくのかなと期待したのですがね。
 でも、春は確かに近づいていることも感じます。木には硬いけど芽が大きくなってきています。鳥の鳴き声も増えてきました。朝晩の冷え込みとはうらはらに日中の暖かさも心地よくなってきています。
 そういえば、今年はスギ花粉の大量発生の当り年らしいですね。花粉症は私には関係ないとおもっていたのですが、ここ2,3年朝くしゃみで起きることが多くなりました。自分は花粉症だと思い込むことが、花粉症の第1歩とういうので、私は絶対花粉症ではない!と言い聞かせています。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.02.07

連絡網って大変ですよ

 任意団体だろうがNPO法人だろうが、組織を運営するのには、いろんな障害があるものです。情報伝達ひとつとっても大変です。方法としては、電話、FAX、口伝、メール、ホームページ、BBS(電子掲示板)などがあります。一般的には電話でしょうね。
 電話の場合は、電話連絡網というものをつくり、誰から誰へ電話すべきか順序を記載した表を利用して情報を伝えます。途中で不在の人いたときは、飛び越えて次の人に電話をするという約束にしておきます。不在者への連絡は直前の人が最後まで責任を持ちます。最後の連絡は、最初に情報を発信したとことろに戻るようにしておきます。こすれば、発信者まで伝言が伝わらないのは、途中で連絡網が渋滞していることを意味します。これでもなかなか伝わらないことがあります。これを補うように、FAX、メール、電子掲示板、ホームページがありますが、これらは何らかの設備を必要とします。ですからすべての人には伝わる手段ではないのです。特に、直前に予定変更が起きたりする、もうてんてこまいですね。
 任意団体でもNPOでも、運動を継続して運用するには、情報伝達の管理ってのは、欠かせないところですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.06

杜仲茶を買ってみました

tocyucya 昨年(2004年10月)に中国の張家界市に行ってきました。目的は勿論、張家界ですから武陵源です。今日は、絶景の世界遺産の話ではなく、お茶のことを少し話します。帰るときに、百貨店を見て帰ろうということになりました。オイスターソース、葛粉(片栗粉)、お茶などが目に付きました。こういった場所では、日本語は勿論のこと英語も全く通じません。でも日本と中国には共通文字の漢字がありますので、いざとなれば筆談ができます。商品の中で目にとまったのが杜仲茶です。お茶だから、葉っぱと思い違いをしていまいがちですが、実は杜仲とは木の名前です。杜仲と言う木の樹皮が杜仲茶の原料なのです。杜仲という名前でビニールの袋詰で売っていました。樹皮を追ってみると樹皮の内側と外側の間に透明のネバネバがあります。細かく砕いて煎じて飲むらしいのです

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.05

ダンス・カンパニー

 障害者が踊る舞台芸術のカンパニーとして世界的に活動しているものに、カンドゥーコや劇団態変がある。ちゃんと観客がお金を払って見にきてくれる。チケットがなかなか手に入らないという。そんな集団が日本に沢山できるといい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.03

たんぽぽの家

 奈良に「たんぽぽの家」という組織グループがあります。障害のある人が、社会の中で、障害のない人と同じように生き、活躍し、感動することを支援しているグループです。財団法人たんぽぽの家、NPO奈良たんぽぽの会、社会福祉法人わたぼうしの会などに分かれてそれぞれ活動しています。障害のある人も、社会の中で、人のためになることを、ひとの喜ぶ姿を見たい、お手伝いをしたいと願っているのです。
 「あなたの喜ぶ顔がみたい」という気持ち、行動には、障害のあるなしは全く関係ないのです。そんな活動を持続的に実施してきている「たんぽぽの家」の活動を支える人たちがうらやましく、感動もしています。私たち みやぎダンスは、障害者と健常者が一緒につくる舞台芸術を目指しています。別な形で、障害者と健常者とのユニバーサル・デザインを目指しているのです。障害のあるなしにかかわらず、誰も同じように暮らしていける世の中をつくることに夢をかけています。何時になったらと思う反面、確実にこのような活動が日本各地にでてきていることは確かです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

仙台城下

 政宗が開いた仙台城下には、水路が縦横無尽に走っていました。広瀬川の城下の上流に四谷堰というところがあり、ここから水を引き数キロのトンネルを経て、城下の道路に沿って流したことから四谷用水と呼ばれています。今は用水路は道路の端に沿って流れていいるのが通例ですが、当時の用水路の一部は、道路の中央を流していました。この用水は、多目的に使われていました。洗濯、池の水、畑の水、防火用水、側溝として活用していました。空堀(からほり)もありました。これは四谷用水を流す堀なのですが、通常は水は流しません。大雨のとき水があふれるのを防ぐ目的で、水門を開け空堀に水を流しました。なかなか合理的に作られていました。そんなわけで、空堀丁という地名も残っています。JR仙台駅の南に、用水路が交差し東流するところと南流するところがありました。交差していたあたりは、橋が五つかかっていました。それが今、五橋という地名として残っています。
 このよう水路は、明治、大正、昭和になると邪魔物扱いされ、埋められたり、ふたをかけらたりして、今は殆ど面影を残していません。県庁の西側に噴水や池のような水の公園がきれいに整備されていますが、ここは四谷用水が流れ池になっていたところです。県庁のある場所は、高台で、城下町のころは、定禅寺が、正面に仙台城が真っ直ぐ望むように建っていました。県庁の南に東西に走る通りを今は定禅寺通りと呼んでいます。
 定禅寺から南に向かう通りは、東一番丁、これから東に向かって、東二番町、九番町までありました。また、定禅寺の北側に北一番丁があり、北に向かって北六番丁までありました。これの呼び名は、まさに定禅寺が基点となっていました。東一番町の西側や北一番丁の南側は、国分町、立町、南材木町、南町などと「町」という名で呼ばれていました。これらの町名は、伊達家が米沢にいたころの町名を持ってきたものです。侍のすむところを「町」と称し、武士以外のすむところを「丁」といって区別していました。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.02.02

仙台という地名

 仙台という地名は、伊達政宗が付けたものです。それ以前に、千躰仏のお堂があったとか、もともと千代(ちよ。また「せんだい」とも読む)と云ったとか諸説あるようです。現に千代大橋(ちよおおはし)という地名(橋の名前)も残っています。千代の末まで繁栄を願うという意味を込めて「せんだい」と呼んだとされています。仙台城の場所には、かつて国分氏一族の居城もありました。地勢的に山城としての好条件が揃っていたところでもあります。前は、広瀬川が蛇行して削り取った急涯で、南側が竜の口渓谷と呼ばれる深い谷があり、後ろは鬱蒼とした山が続いている。崖の上からは仙台平野が一望でき敵の来襲はよく見えたところにある。
 伊達政宗が仙台城を築く前は、仙台城下は、湿地や原野であり、万葉集にも宮城野あるは宮城野萩として歌われているところです。都留氏と国分氏が互いに攻めあって領地を取ったり取られたりしていた場所です。この原野の中に陸奥国分寺と国分尼寺は古くからありました。したがって仙台が町として発展したのは、伊達政宗が仙台城を築いてからといえます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.02.01

ダンスの即興性と障害者

 みやぎダンスの舞台には即興が欠かせない。即興はとても大事な要素なのです。みやぎダンスの目指しているのは、「即興が作り出す新しい芸術」です。舞台パフォーマンスはややもすると台本(筋書き)どおりの固定的なものになり易い。日常性に埋もれて、どうしても即興になりにくい。
 この即興の舞台を作り出すことに熱心にかかわりあっているのが、山海塾の岩下徹氏で、彼の活動は、舞台で即興を表現することであり、それが新しい芸術をうみだすことを見せてくれていると思う。彼、自ら、そのようなことを言ってると聞いています。
 ストーリーに沿って流れていく場面の中に、即興を取り込むことで、前もって見えていないものが見えてくる。そのような即興は、健常者は苦手であるのに対して、実は、障害者はあまり既成概念にとらわれることなく反応するので即興になり易い。だからみやぎダンスには、健常者も障害者も必要なのです。健常者だけでつくるより、障害者が入ることで、より芸術性の高い作品が創れるのだと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年1月 | トップページ | 2005年3月 »