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2005.09.25

いよいよ仙台市芸術祭アスタリスク公演間近

仙台市芸術祭のスペシャルセレクションに選ばれて、NPOみやぎダンスの「アスタリスク」公演が10月1日と2日に、仙台市の141ビルのギャラリーホールで開催されます。
 今年3月に行ったアスタリスクをバージョンアップしての再演となります。6月にはイギリスに渡ってロンドン公演をし、8月には大阪のビッグ・アイ(国際障害者交流センター)での公園を経て、3月の内容とはがらりと変わって、新しいアスタリスクをお楽しみください。
 10月1日の1回目公演終了後には、ロンドン公演の報告会を行います。イギリスでは、障害者と健常者が一緒になって芸術作品をつくり、公演し、カンパニーとして成り立っている団体もあります。インクルーシブという概念を将に実践している社会がどんなものなのか、もう障害者としては見ていない、個性として障害を捕らえ、社会の一員として活動の場を与えられ、生き生きと生活している社会がありました。インクルーシブを肌で感じたことをNPOみやぎダンスの理事長の定行俊彰氏が皆様に話します。

 NPOみやぎダンスは、社会の一員として、障害者も健常者も共にいて、生活し、楽しみ、芸術を創ることをこれが真のユニバーサル・デザインであると考えて活動しています。健常者だけの芸術団体、障害者だけの団体は、あまたありますが、本当の社会には、障害者もいて、健常者もいて、一緒に生活しているのです。障害者だけのグループも健常者だけのグループも、そういったところから見ると、きわめて特殊な環境だと思います。当たり前の社会で芸術を目指し活動しているみやぎダンスのダンスパフォーマンス「アスタリスク −感性の多角形−」をお楽しみください。

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2005.09.18

仙台という地名

仙台の地名は伊達政宗が1600年の仙台築城に際して付けられた地名である。青葉山にはもともと千代城があり、国分氏の居城であった。仙台城の大手門あたりには以前、龍泉寺があり、築城に際して移されたが、この龍泉寺には千躰仏堂があったと言われている。この千躰仏堂を千代の久遠に伝えるという意味で千代という名前になったという。この千代城を政宗は仙台城と改名した。

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2005.09.15

野菜つくりの楽しさ

 今日あたりから、急に朝晩が涼しく、いや、肌寒くなってなってきました。秋を通り越したような風が吹いてます。インゲンも着花するけど、大きくはならなくなりました。もうおしまいなのでしょう。
 でも、嬉しいことに、ナス、オクラはまだまだ大きくなりつづけています。秋ナスのおいしい時期になってきたということでしょうか、楽しみです。 そういえば、サトイモの葉っぱも大きくなりました。グングン育っています。
 植えたばかりなのが、ハクサイ、タマネギ、ダイコンです。今の時期は若芽が幼虫にガッポリと食われてしまう大変な時期です。要注意なのです。有機野菜を標榜する我が家の畑は農薬は一切使わない。だから、多分周りの人からは嫌がられているのだろうと思います。遠くから見ると私の畑の周りだけに蝶が飛んでたりすることがあります。
 そういえば、モグラもたくさんいるようです、うちの畑には。モグラのトンネルの痕がいっぱい見つかります。モグラや昆虫がいる畑なんです。よく見かけるモグラ除けのペットボトル(風が吹くとクルクル回る)はうちの畑にはありません。
 畑の良し悪しのバロメータは、ミミズが多いかです。ミミズが多いと土が軟らかくふかふかします。なによりミミズはモグラなどの餌です。だから私はモグラは大歓迎です。スギナが生えないこともいい土の条件です。スギナ(ツクシ)が生えているところは酸性土の証拠です。野菜が育ちにくいのです。スギナの代わりにハコベが生えてくるようになるといい土になった証拠です。こうなるとホウレンソウが育つようになります。いい土は連作障害も少ないといわれています。また、よく言われるのは、カマキリとクモ巣も大歓迎です。カマキリは害虫を捕獲してくれます。クモも同じです。益虫と呼ばれています。
 ホウレンソウ、野沢菜などの葉ものの季節です。クキダチ、新菊もこれらは冬を越しても食べ続けられます。ブロッコリー、カリフラワーも季節ですね。楽しい秋到来です。

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2005.09.07

空堀町(からほりちょう)

 空堀町の町名は、伊達政宗の町割りに由来する。正宗は岩出山から仙台の地に城下町を移して、縄張りをした。1604年のことである。そしてこの地を仙台と呼んだ。 

 仙台城下には、縦横無尽に水路が掘りめぐらしている。「四谷用水」と呼ばれる。仙台の西北の方向に、広瀬川上流である郷六の地に四谷堰があった。ここから水を引き、途中トンネルを潜り通って城下に流した。四谷堰から水を引いたので四谷用水の名があるという。

 この水は、多目的にまちで利用されたという。洗濯、防火用水、池、など。殆どの掘りは、道路に沿って流れていた。面白いと思うのは、道路のセンターに水路が通っていたところが多かった。今でも雪の多いところに見られるように、道路の側溝のようになってるとこもあった。

 困ったことも起きたに相違ない。大雨のときなど増水して所々では溢れていただろう。そこで考えられた対策は、空堀をほることである。増水したときは空堀の水門を開き、水を空堀に流し、溢れないようにした。こんな理由で空堀が作られたと思われる。そして、その町名が空堀町となった。残念なことに、今は、町名変更でこの町名は残っていない。さみしいことである。

 それにしても、先人の考えには驚かされることが多い。伊達政宗はもともと米沢に城下町を築いていて、大崎地方の豪族を鎮圧するために、岩出山にで城を一時的につくり、最後には仙台に移り住んだ。米沢にも水路を掘り利用されていた。岩出山町にも堀が作られたそうである。町作りには必須のものであったに違いない。

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