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2006.12.27

NHKの「石井筆子」

NHKのその時歴史は動いたを見た
 「日本で始めての知的障害児教育の開拓者」として紹介されていた。かつて日本では障がい児を社会が取り込み健常者と共に生きたいた。社会が受け入れていた。しかし、明治という時代は、西欧に追いつくことが最重要課題であり、日中戦争もあり、富国強兵も叫ばれていた。このような時代では、障がい者のような弱者には試練の時であった。義務教育の対象からは完全に除外されていた。教育の必要なしというレッテルを日本政府が宣言したのである。
 このような厳しい時代にありながらも、2番目の夫、石井亮一と共に滝乃川学園を立ち上げ、知的障害児教育を始めた。学園生活の中で、知的障がい児がゆっくりではあるが確実に成長していく過程をつぶさに見ていたのである。全財産を投げ打っての教育である。涙ぐましい努力であったろうと思う。
 映画とは違い、番組では、心の中を浮き彫りにした内容で、筆子が、何に憤り、何に悩み、苦しみ、何に喜びを見出していたかを見せてくれた。番組では、筆子の日記の言葉などを持ち出し、こころのうちの動きにスポットを当てていた。
 筆子は社会に、教育で成長することを伝え、だからこそ教育が必要なことを訴え、小学校に養護学級の必要性も訴え続けたという。このような先人がいて初めて、今、私の子のような障害児とそのの親にも光明が当たるようになってきたと思う。筆子がいなかったら、もっと遅れていたに違いない。
 まさに、知的障害児教育の基礎を築いた人であった。この意思を受け継いで自分たちが何をしなければならないのか、そのひとつとして、私はインクルーシブ社会を築くことだと思い始めている。教育現場では、養護学級もあり、普通学級に入り統合教育も既に積み重ねられている。でも、イギリスなどに比べると、インクルーシブという概念が日本には根付いていないことに気がつく。かつて日本の社会にあったいう「インクルーシブの世界」を築けたらと思うである。
 インクルーシブというのは、バリア・フリーやユニバーサル・デザインが普及し物としての障害、障壁をなくした後にくるもである。物だけでなく心の障壁をも取り除いた社会がインクルーシブだと思う。社会生活すべてが、障がい者も健常者も区別することなく、お互いの思うがままに暮らせる世の中であろうと思う。こんな社会が一気にやってくるのは日本ではまだ先のようだ。
 でも、芸術の分野でなら実現可能な方法を見つけ始めた。そのひとつの具現化がみやぎダンスとの係わり合いだと思っている。ここには、障がい者も健常者も区別はない、個人としての個性があり、何が得意で、何が不得手かという極々ありふれたことがらを、多様性ととらえた上で、芸術の創造をダンス舞台というもので表現しようとしている。こんな仲間に会えたことに感謝し、こんな仲間と一緒に活動できることに喜びを感じ、もっと仲間を増やすことにお手伝いできたらと思っている。

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2006.12.09

映画「筆子その愛」

 宮城学院女子大学で映画「筆子その愛」を見てきた。明治直前に生まれ、昭和19年まで生きた石井筆子の一生の物語である。障害児は生まれると人々からは疎まれ、隔離したり、閉じ込めたり、外には出さず、人の目に触れないようにするのがあたりまえの頃の話である。このような時代背景であったにも関わらず、障害児にも生きる権利があり、他の人にはない能力があり、それを見つけ育てることが必要なことを、一生をかけて実践しつづけた女の物語である。1度の目の夫との間に障害をもった子が生まれ、その夫に先立たれたが、障害児のための学園をつくった人と2度目の結婚をし、夫と共に滝乃川学園を死に物狂いで運営していった。今の日本における福祉のベースを築いた人であった。
 今やようやく福祉ということばが市民権をえ始めた時とは違い、隔絶した時代背景にありながら、福祉を実践することの困難性は、見た映像の比ではなかったと想像するに難くない。どんな子であっても、同じように向き合い、同じように愛することで、子にとっても、親にとっても喜びであること、それを教えてくれている映画であったように思う。親が子を思うが故に子を隔離し外に出さないことが、結局は子にとっても親にとっても悲劇であること、最初はなかなか踏み切れないことではあるが、子を外に出し、他の人の眼に触れさせること、これが福祉の第一歩であることも教えてくれているように思えた。
 隠すことでは何の解決にもならない。世に知ってもらうことで、この子らにも愛しいところがたくさんあること、いろんな能力があること、気持ちがいいことには素直に微笑むこと、悲しいことには思いっきり泣くこと、そんなことを知ってもらえる。家族ではない他人に分かってもらうことも大事だが、むしろ親が、家族が、全く逆方向を向いていることが意外と多いことに気づかせてくれた映画だ。

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2006.12.01

Drコトー診療所

 先週の「Drコトー診療所」は、見ていて悔しい思いがいっぱいで涙が出てきた。ガンの末期患者がメインのテーマだったからである。映像と目の前の現実とが重なってしまっていたからだ。その時は、今週の「Drコトー診療所」は見るに耐えないだろうという気がしていた。しかし、一週間の期間で自分は、もうショックから立ち直っていたと思い込んでいた。だから見ることにしたのだ。
 しかし、映像の方は、奇跡的にガンは抑制されていく展開であった。普通なら喜べる内容なのだが、逆により一層悔しいに思いにさせられてしまった。この奇跡が何故に、現実の世界では起きなかったのかと。この奇跡をみんな待ち望んでいたのに。という思いがこみ上げて来たからだ。でも、現実は、厳しかった。全く正反対の方向に行ってしまったのだ。
 ドラマは、やはり、簡単に奇跡を起こす方向に持っていってしまった。安易に。「小説は事実より奇なり」になってしまっている。普通なら、拍手喝さいしたところだろうが、正直とても惨めな感じであった。気持ちの持ちようで、物事は全く裏腹に見えてしまうことに気づかされた。

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