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2007.01.29

インクルーシブ・アートの日

Ians
2007年3月4日(日)仙台市青年文化センターで「インクルーシブ・アートの日」を開催することになりました。
障がいの有無や年齢,性別,国籍等にかかわらず誰もが参加できるインクルーシブなアートの場を作ろうと、仙台市にあるNPOが手を組みました。”アートは誰に対しても平等で開かれている”をモットーに活動を開始しました。その具体化の第1弾がこの「インクルーシブ・アートの日」です。メインはシンポジウムですが、体験ワークショップも同日開催されます。今回は音楽とダンスの2つです。これから毎年開催しようとしています。
チラシの言葉を引用します。

誰もがアートに触れ,創作活動を行うことができます。アートは一人一人の多様性を認め合いながら,人と人,人と街をつなぐことができます。そして,一人一人が豊かに生きる場を提供できます。しかし,障害があるというだけでアートに触れる場があまりにも限られているのではないでしょうか?障害の有無,国籍,性別,年齢などにとらわれずアートに参加できる「インクルーシブアート」の必要性を強く訴えます。

仙台市には、美術、音楽、ダンスの分野で、インクルーシブな活動をしているNPOや任意団体がいくつかあります。これらの団体が個々に閉じた空間で活動していても、広がりません。そこで、これらの団体が手を組んで新しい組織を作りました。「インクルーシブ・アートNPO仙台」略してIANSです。いろんな分野のアートを一同に介してワークショップを開催するので、健常者や障がい者にとっても、この場に来ることで選択の幅が広がります。いままで、ダンスをしてきたが、絵や音楽にも興味があればやらしてみたいと思う人も多いはずです。そんな人に打ってつけの場です。絵をやっている人も、音楽もやりたいなと思う人もいるはずですから。今回は、「NPO法人みやぎダンス」(ダンス部門)と「NPO法人オハイエ・プロダクツ」(音楽部門)が責任団体として開催します。
また、財団法人仙台市市民文化事業団の全面的な応援(共催団体として+助成+会場提供)を頂いています。
IANSの目標は、仙台市から宮城県へ、東北地方へ、そして日本全国へと活動を広げたいと考えています。もうすぐ、IANS.netが立ち上がります。全国のインクルーシブ・アートの活動をしている団体へ呼びかけようとWebを作成中です。そして、いろんな人の目にとまり、障がいのあるひとが自分が関われるアートがあるんだということを知ってほしい。そしてインクルーシブがもっともっと広がっていくことを願っています。

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2007.01.28

登社拒否

大介が、昨年秋頃から、多夢多夢舎、中山工房に行かなくなってしまった。登社拒否である。朝出かけない。着替えも拒否するようになってしまった。何が原因かは、よくわからない。聞けば、似たようなことは大介の年頃よりもっと早くに来るみたいだ。そうなると2、3年と行かない期間があるという。
ただ、私が土曜日に限り、車で送るときは元気に行くのだ。母親のいうことは全く聞かないのだそうだ。というわけで、「もう寝なさい」、「あさだよ、起きなさい」、「お風呂に入りなさい」は私の係りだ。私の言うことしか聞かないというのだから仕方がない。でも、母親の「ごはんだよ!降りてきなさい」には見事に反応する。
単なる、なまけぐせかもしれないのだが。2,3年様子をみるしかないのだろうか。私が、毎朝連れて行けば行くような感じはするのだが、会社におくれないようにはできない。みやぎダンスの時は、これがニコニコしていくのだから始末が悪い。みやぎダンスのオープンクラスのワークショップ(月1回)やステージクラスの稽古の日(始まれば2週に1から2回)では、自分から行くというのである。よほど居心地がいいようだ。
そういえば、みやぎダンスに参加する障がい者(児)はみんな来たがるのだそうである。楽しみにしていると聞く。インクルーシブという環境がその気にさせるのだろう。確かに何人かのお母さん方には「引っ込み思案で何もしたがらない子が、みやぎダンスにだけは行きたがるのよ」って聞いている。うつの状態の子が、役をつけてもらうと、とても生き生きとして明るくなるのが、はたから見ててもよくわかる。
だから、大介も、みやぎダンスに行きたがるのは良くわかる。でも、多夢多夢舎にも行ってほしいんだよー!。出社しないと、多夢多夢舎でも大変だと思う。法律が変わってしまって、所属してても登社しないのはご迷惑なのだ。
とは言え、私が会社を辞めるまでは、待つしかないか。または、大介の気が変わるのを待つしかない。

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2007.01.20

インクルーシブについて

ターボさんから頂いたコメントを読みつつ、再度、インクルーシブについて考えてみた。
世の中全てをインクルーシブにせよという訳ではない。特に芸術創造という点では、なお更である。みやぎダンスはダンスパフォーマンスを舞台で演じる団体である。ダンスとはいえ古典的なダンスではない、どちらかといえば演劇に近い、ただしほとんど言葉は使わない。ダンスの動作で場面を表現する。社交ダンス、クラシックバレー、フラメンコ、などのように型が決まっているわけではない。体の部分や全体を使ってストリーを構成していく。「うれしい」を表現するときは、全身で飛び跳ね、両手をかざして、目を丸くして表現する。悔しいときは、足を鳴らし地団太を踏むように、そして握りこぶしつくり両腕を下に向けて何度も殴りつけるように動かし、顔を引きつらせる。あるいは、激しい怒りや悲しみは、赤い服装や照明で、心の静けさや安堵感は、青い色の服装や光で表現する。典型的なコンテンポラリーというほどでもないが、分類上はコンテンポラリーに属するのだろうと思う。言葉でストーリーを説明的に場面を構成する劇では、インクルーシブはなかなか難しい。みやぎダンスは言葉は要らない、殆ど使わない、雑音程度には使う。だから障がい児(者)が参加し易い。音楽や照明、舞台装置がとても大事な表現要素になる。全体的な流れは構成するが、個々の場面では意外と即興的な動きが取り入れらてくる。ある意味で即興の芸術と呼ばれる所以でもある。障がい者は即興に強い。健常者は決まりきった日々制約を受けることに慣れていて即興が難しい。行動する前に頭で考えてしまうからである。流れに沿った進行場面では健常者が強く、即興的な場面では障がい者が強い。健常者は障がい者のできない動きができるし、障がい者は健常者の不得意な即興で芸術を表現できる。これが一緒になって舞台を創るとき、今までにない新しい芸術を生み出す。インクルーシブでしか表現できない芸術を創ることがみやぎダンスの目的である。
 健常者だけの団体があっていいし、障がい者だけの劇団があっていい、更に、健常者と障がい者が一緒にやるクラブがあっていい。だから、世の中全てがインクルーシブであるべきなどとは言わない。1/5でもいい、1/10でもいいから、インクルーシブな活動をする仲間、団体があっていいと思っている。日本では、殆ど皆無に近い。ロンドンで見た光景は、劇団募集、ダンスサークル募集、スポーツクラブ募集のチラシや看板に「inclusive」とあれば、健常者も障がい者もOKですよって意味なんです。日本では殆ど見たことがない。でも最近、少しづつインクルーシブな団体が見つかるようになってきた。絵のサークル、音楽の団体、ダンスのクラブなど、本気になって捜すと見つかる。
 悲しいことに、障がい者(児)の親は意外とあきらめている。そんなこと、うちの子には無理だよって、勝手に思いこんでいる。実は、子供が原因ではなく、親がインクルーシブを避けていることが多い。親が勝手に思い込んでしまって機会を逃しているのが多いのだ。インクルーシブは福祉にもなりうることが多々ある。みやぎダンスに来る前は、引っ込み思案で欝に近い状態だったのを、ダンスで体をう動かすことに喜びを感じて、ダンスの練習にだけは出かけるという障がい児が何人も見てきた。耳が聞こえないために、周りの環境や人とは没交渉となっていた子が、ダンスをやるようになってから、体を動かすことでボディランゲッジできることに気づき、挨拶もニコニコ顔で手野平を叩き合ってするようになった。もちろん今はステージクラスに参加し、年1回舞台公演に今も出ている。
 福祉的要素もあり、その芸術性で人に喜びを与えることができる、インクルーシブそのものに、ある意味で成熟した社会であり、明るい未来と希望が見えている。と思えるのだ。

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2007.01.13

いじめ

 いじめについて、いろんな人の話を聞くにつれて、ここにもインクルーシブの必要な世界があったんだと思う。マスコミの話ばかりが聞こえているのでどれほど真実が私に伝わっているかは不安ではあるが。
 いじめる側は、いめられる側を100%逃げ場がないように追い詰めているようだ。すきがないのだ。1%も譲ることなく、完璧なまでに追い詰めている。江戸時代には村八分という制度が村々にあったと聞く。この村八分との違いを見せつけられている思いがある。村八分との違いは、八分の残り二分にある。村という共同体(コミュニティ)の中でどのような極悪非道のものであっても、二分はひとと人との付き合いを許していた。100%排斥はしていないのである。その二分とは葬式と誕生祝い(あるいは葬式と火事)の時は村が総出で一緒に行動した。それ以外は共同で行うことはなかった。
 今のいじめにはその二分がない。それまでも排除してしまい、一切遊びがないのだ。それが正しいのだ思い込んでしまっている。信念として正しいと思っていることはいかなることがあっても揺るがすことはない、これが人生の正しい選択と思い込んでいる。自分にとって正しいと思えることは、他人にとっても100%正しいものだと思い込んでいる。しかし、こういった生き方あってもいいじゃない、って自分にはとても甘いのだが。
 容貌のちょっとした違いが、人格の欠損だとまで思い込み、排除の論理で区別してしまっている。帰国子女ということだけでも、文化の違いやら感性の違いやらが許せないのだろうか。こんな人もいて、あんな人もいて、社会があることを知らないだろうか。
 バリヤフリー(障壁があったら取り除こう)からユニバーサルデザイン(初めから誰にでも障壁にならない用に考えて、物を作ろう)へ、そしてこれからは、構造物や施設など生活空間をユニバーサルデザインにするだけでなく、ひとひととが付き合う社会そのものをインクルーシブ(どんなひとも垣根なく一緒にいること)にしようといことが大事なことだと気づき始めている。いじめる側もいじめられる側もインクルーシブで、一緒になれば、あるいは、二分でもいいかえら、一緒に何かできたら、いじめなんかあっても深刻にならないのにと思う。
 どんな動物でも、いじめはあると思う。だから人にあっても不思議はない。でも100%排除するな、二分でもいいから相手を許せ、話を聞け、一緒に笑え、そうすれば、いじめなんか問題じゃなくなる。
 ところが、今は、先生も教育委員会も、タウンミーティングを主催する文部科学省役人も、自分が思い込むものが100%正しいのだから、それ以外は一切排除を決め込んでいる。自分たちの思うことは100%正しいのだからお前らも認めろよといっている。二分でも違う意見があったら、聞く耳もとうよ。世の中100%だけじゃないのよ。
 インクルーシブって、違った容姿でもあってあたりまえ、障害者がいれば健常者もいる、年寄りがいれば子供もいる、黒人がいれば白人もいる、もちろん黄色もいる、そんな人々が一緒にいる、そんな社会を指しているんだと思う。
 私は、たまたま、障害者の親というだけだ。インクルーシブはとても大事な概念だと思っている。

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2007.01.04

親バカ丸出し

明けましておめでとうございます。
Daisukez「夢と魔法の国」
今年は、のっけから、親バカやらしてもらいます。大介の絵が、カンレンダーに採用されました。大介が通うNPO法人多夢多夢舎中山工房からきょうされん(旧共同作業所全国連絡会)に応募し入選した絵がカレンダーになりました。マジックインクで色付けしたものです。題名は多夢多夢舎の方がつけて頂いたものです。
彼の大好きなロボット、「千と千尋の神隠し」、「動くハウルの城」、「大曲の全国花火大会」を好きなだけ表現していると思います。大介にとっては夢ではなく、彼にとっての現実を描いていると思っています。それにしても、よい題名をつけて頂きました。多夢多夢舎中山工房に感謝。

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